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橋下大阪市長vs在特会代表桜井氏 [ニュース]

依然として各地でヘイトスピーチなる差別的発言が繰り返され、彼等はそれを言論の自由などと称して自由気ままな発言をしている。法律を犯さなければ良いのかという問題があり、危険ドラッグの問題も同じように、完全に法に触れない形で販売さえすれば直接逮捕されるようなことはないが、社会的な悪影響は計り知れない。つまり、法律というものは人間の根底にある基本的な良識の上に成り立っているのであり、その部分に関して明記されていない。誰しもが共通に有している認識において、言論の自由や表現の自由と発言することに関しては納得できるが、あくまで彼等の行っている行動はそれに反し、法律を犯さなければ何でも良いという行動でしかない。現実として社会問題や国際問題にまで繋がり、「何故日本はあのようなヘイトスピーチを繰り返す人々を放置し自由な発言をさせているのか」という声さえあるのだから。

そもそも、今回どのような経緯において橋下大阪市長が代表の桜井氏と話し合いの場を持ったのかはわからないが、YouTubeなどの動画を見る限りにおいて、桜井氏では話し合いができないことはわかるはずで、市長側も十分理解していたに違いない。定期的に動画配信などを行い有志を募り、その中には十分に内容を理解していないままヘイトスピーチの集会に参加しているようなものまでいるだろう。これはある種の現代病とも言える現象で、SNSなどを利用することで気軽に会に参加でき、集団であることにある種の安心感を得て「誰それがやるなら自分も」と深く考えることなく流される人々が多数いることなのだろう。

私見では、桜井氏というのはあくまでも自分の言いたいことしか言わず、反論されれば激高し人の話を聞くことなく自らを正当化し直ぐに感情的な態度に出る。「人間として優秀な人は良く人の話を聞く人」といわれ、優良会社の社長などはこれに当てはまるが、桜井氏もまがいなりに一つの集団の大将という立場であるならば、良く人の話を聞き、受け入れるところは受け入れ順応する必要があるように感じる。

結果的に話し合いなどになるわけもなく、お互いに感情論を展開して10分程度の怒号・なじり合いに終始したわけだが、信者のみならず一般の人から見ても、良し悪し別に在特会という存在は認識できたわけで、その集団が世間に対してより一層伝播され、在特会だけが得をしただけだ。

彼等街頭での発言の一部として「死ね!」や「殺す!」などと著しく逸脱する表現が見られ、単なるヘイトスピーチと捉えきれない暴言があることは問題で、それらの行動に対してカウンターと呼ばれる行動をとり、スピーチに対しての反論を展開する人々の存在がある。
街頭で行われる言葉のぶつかり合いがより一層スピーチを過激なものにするのであれば、カウンターなどという行為を一切行わず、彼等の行動言動に関しては公的な機関や国際社会に全面的に委ね、全て無視をし、かかわらないようにすればいい。誰かが反応をして反旗を翻して行動を起こすからこそおもしろがって過激なことを仕掛けてくるのであって、何の反応も示さなかったり完全に無視されるようなことになれば彼等だって蚊帳の外で、ただ単に街の中で大声で叫んでいる集団に過ぎない。

これは軽い「いじめ」についても同じことが言えるように思う。いじめっ子は集団でひとりの弱い子に様々な嫌がらせをして喜び、はじめは軽いものでも反応が楽しくて徐々に激化し止まらなくなってしまう。しかし、早い段階で、辛いであろうが彼等の嫌がらせに対して何の反応も示さず、話すらしない状況を続けていると反応しないことに面白がることもなく、彼等の嫌がらせは徐々になくなっていったという経験がある。全く何の反応も示さなくなれば、そこにやりがいはなく意味もなくなる。

街頭で大声を張り上げて訴えかけるのは、聞いてくれる人や同調する人がいるからこそ意味があるのであって、誰もその存在自体を認めないのであれば全くもって空しく意味のないことなのだから。彼等の行動言動に対して魅力を感じて同調することも自由。でも、今自らが行っている行動言動が本当に正しいことなのかどうか、後になって後悔などしないかどうか一人ひとりがこの段階で心から真剣に考えるべきだ。

他人の人生を生きてるんじゃないんだから、自分でしっかり物事の善悪を考えて自分の人生を大切にしないとどうするんだ。



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